unique。
トラディショナルなものよりおもしろさ。
そのブランドらしいと言うよりもむしろ、自分の好きな”のびやかさ””ウィット”を楽しめる服が好きだった。
それが普遍的ならなおさらいい。
自分の身体に合うもの、顔写りの良いもの。
そこをあまり気にせずにリアルクローズである必要がない暮らしならばもっと遊べたかな。。
NETFLIXの『令嬢アンナの真実』ご覧になられました?
いい悪いは別にして、とても興味深いストーリーだった。
強くて美しい女性を見るのは気持ちがいい。
毎月数十万円分の洋服を買っていた。
あまりに忙しく時間がなくて、仕事場の近くにあったコムデギャルソンで頭から脚まで全てのものを購入したり、同じくご近所だったマルタンマルジェラでコレクションラインのニットを色違いで購入したりしていた。
それでも余るお金が溜まっていったあの頃。
年に数回海外へ旅行して、近所の居酒屋で晩御飯、近所の食堂でモーニング食べたりランチ食べながらミーティング。
数万円するような食事は、貧乏美学生の気持ちが抜けない私には未だ気安く食べる気分にはなれず、高けりゃ美味しくて当然なんて思ってしまう。
古くからの友人には、そんだけ働いてたら家買えるんじゃない?もっといいとこ住めるでしょ、とか言われてハッとした。
そうか、そういうもんなのか、と。
忙しく仕事させてもらってはいたけれど、いつ干されるかわからない仕事だという危機感もありつつ
家賃のために働くような生活は嫌だ、
好きなことしてたら生きていけてたと言うスタンスで居たくて
どうしても家賃の高い家に住む気にはならず。だから毎月使えるお金があった、わたしの30代の暮らし。
「これだけ忙しいんだからまた入ってくる」
それがあの頃のわたしの世界に対する信頼だった。
赤ちゃんは一人で産めないから、結婚しよ。
私は食べていけるから大丈夫。
そんな感覚。
自分で決めることができたから動けた。ある意味、大きな自信と安心の中に居た時期。
そして
「今よりもっと自由になれる気がする」
その直感で結婚を決めた。
ずっとずっといつか、飼いたかったわんこ。(今膝にいるりんりん)
自分の暮らしをわんことの暮らしにシフトしても、一人と一匹で食べていけると自信がついてからやっと。
それが30代後半。
りんりんとの暮らしで、髭の生えたおっさんだった私の魂に母性が戻ってきた。
ありがたく妊娠して出産を迎える頃、初めて不安がよぎる。
仕事を断らなくてはいけない。
イレギュラーな仕事はいいけど、毎号お仕事させてもらっていた季刊誌。代わりを誰かが穴埋めしなくてはいけなくなる。
初産はギリギリまで働いた。
妊娠初期はモードが切り替わらずいつものように夜中まで働いた。
仕事して家事をしてたら回らなくて、経理を夜中にやった。
するとかなりひどい悪露がやってきた。お腹からの忠告。
お母さん、休んで。と。
入院して点滴生活、そこから、わたしの、身体との対話が始まったのかもしれない。
(ありがとう。。)
当時私よりもずいぶん若かった夫は私以上に妊娠という変化に疎かった。ある意味自然体だった。
誘われたら行く、という信念のもと、しょっちゅう泥酔して数日間再起不能になってまた泥酔。。
呑むことは記憶をなくすこと。
という彼の価値観を結婚前に知っていったら、「マジ泥酔ナンセンス派」のわたしは100%結婚をしていなかっただろう。
楽しく美味しくスマートに、健やかに飲みたい。
2回のデートで結婚を決めたからこその奇跡。わたしに余裕があった頃だったからこその軽やかさ。
妊娠中忙しすぎるわたしに、もっとゆっくりしてね、と優しい言葉を言ってくれる。
本心であっても、その言葉には現実が全く伴っていなかった。
数ヶ月後には収入がなくなる。その現実がひたひたと迫っていて、初めて仕事を断る時期を迎えるフリーランスのカメラマンの人気商売的な危うさにくらくらしていた。
働かなくても毎月の生活費はかかる。
ひと月◯万円で暮らせる
と夫が言ったその金額は当時の家賃より低かった。
貯金を切り崩しながらも、いつかはまた前みたいに。と信じていたわたしは生活のレベルを下げず今まで通り暮らすことを選んだ。
美味しいからとたらふく食べて飲む夫。いいなしあわせそうだ。もちろん悪気はない。
ただ、極上の美味しいものを少し食べたいわたしが作っても作っても翌日に残らない料理のエンドレスと出費。
そうやって少しずつ少しずつ仕事口座の貯金は減っていく。
出産費用も半分払って
出産して退院した後住む家に帰宅し、すぐに全ての家事を子育てと共に始め
早々から当たり前のように仕事を始めたら、骨盤がぐらぐらで体調が悪くなった。
見た目、誰にもわからない。どうやって伝えたらいいのかわからない。当然共感されようがない。
ひたすらに理解されない孤独の中で必死に赤ちゃんの要求に応える毎日。
今になって親しい人に
「助けてと言ったらいいよ」
その言葉を聞くだけで崩れ落ちそうだった。そうしたかった。
唯一、素敵なママたちに恵まれたおかげで新たな世界が開いて、なかなか会う時間もないけれどその存在は救いだった。
こんな話を細かにしなくても
根底で、愛おしさやしあわせや愛への共感がある。
望んでいた子たちとの時間。
喜びに注力できたらよかったけど
暮らしへの不安や夫婦の意識のズレに、ある種絶望感さえあり、思っていたよりもずっと過酷に感じて、諦めて達観するしかない境地に居た。
泥酔する夫に嫌味を言うと「やってくれなんて頼んでないわ」。と反論する。ごもっとも。頼まれていない。
気づいたら気づいた方がやればいい
それは眩しく美しく素晴らしい世界で、それはある意味自然なありようだと、今なら思う。
わたしは気配がありありとわかってしまうタチで、観察力も、洞察力も、想像力も総動員、
そうやって今まで生き抜いてきた。
細やかに細やかに。。。。。。。。。
そういう動きは大抵似たような人や敏感な人は気づいてくれて、その存在そのものが救いだった。
器用貧乏っていう言葉。
がんばっちゃうわたしがなんでも先にやっちゃうから自分が忙しいという事実を突きつけられたような日々。
「がんばらなくても必要なものは目の前に届くしできなくてもなんとかなっちゃう」
という話には違和感があった。それは誰かが気を回して代わりにやってくれたからだよね??
と。
当時何度も何度も家事や仕事の仕方で意見が合わない夫の話に、羨ましささえあった。
正論にガッカリした。
正しさは、こんなにも暴力的で、冷たいものなのか、と。
ただ、大変そうだから代わりにやるねという気持ちが湧くようなひとじゃない存在が寂しかった。
助けあうって、なに?
当時はまだ立ち上がってなかった自分自身への不甲斐なさに、その流れ全てひとりお持ち帰り。どっしり。重たすぎた。
でも
離れたところに暮らす母は父と再婚で子育てをした経験がないから頼れない。そう思っていた。けど、こんな事なら実家へ帰ってみることをチャレンジしてもよかったのかも、と今は思う。
とにかく必死。どうにもならない感。魂は叫んでいた。
一生そばに居るYO、と一緒になったワンコとの時間も全く持てない、まだ一歳の甘えたいりんりんは、急に撫でてくれなくなったわたしに少しでも甘えようと、トイレで座ったら一目散に走って来るようになった。その一瞬だけは撫でてもらえる。わたしもりんりんをやっと撫でられるのにそのことを喜ぶ余裕も無くなっていた。
今思えば、原始反射の影響が結構強く残っていたわたしは、
その恐ろしい状況を改善する事なく逃げて、怒って、イライラしながら食器を洗って。
空気を読んでくれと願ったけど。そういう相手ではなかった。
結婚って?
企画した夏のリトリートの宿で偶然ビビビときた本を借りて帰ったら、
そこに、似たような体験の物語が載っていた。
まさかそんな体験を言葉にしたものに、10数年後に出逢うなんて。
全く想定してなかった不意打ち。
思わず訳も分からず号泣した。
「キッチンセラピー」
違う視点でピピっときたつもりで貸してもらったのに、魂はそこを待ち望んでいた。
号泣の先に
この世で似たような経験をしているだろう母たちを想像して。
また
すでに他人のように感じる過去のわたしのことも。
そして、ストンと思った。
がんばっていたなあと。
ご近所さん以外には客観的に大して状況は悪く見えなかったし、もう隠しておくこともできただろうけど
その本が旗を振っていた。
激励の旗がはためくのを感じた。
できれば穏やかな産前産後を希望する。
その穏やかとは何か。
何を期待していたのか。
不安で夜中に目を覚まして眠れなくなるような日々を、選ぶ人はいないと思う。
うっかりそんな状況になってしまったとしても、ありがたいことに人は過ぎると忘れていく。
無我夢中すぎて、あの頃のことは覚えていない、
と言う言葉は、今でも母になった人から結構よく聞く。
それ。
それかも。
古傷。
かけがえのない愛おしい存在との日々。
孤独や憤りや不安とは縁のない世界。
どうしたらそんな日々を過ごせるのかな。
それは夢の話?
父と、産んでくれた母との間に生まれた隙間も真実はわからない。
夫婦複数で話していると時折聞こえてくる、妻への愛や申し訳なさ。
そんな瞬間に出会うたび、その言葉を箱に詰めて奥さんへ届けたい。愛されているよと伝えたい。そんなことを思う。
大きなお世話でもなんでも。
学校や塾で教えてもらえない、生きること、母になることのリアル。
そこを
愛を持ってフラットに知ること。
それがひとり目の子たちへ、まっすぐの愛いっぱいに向き合えるヒントになるのかなと。
話は大きく逸れたけれど「アンナデルウェイ」の話。
夢を見ていた。
忙しく働いてさえいれば、お金は入ってくる。
誰もしないならわたしがやる
その精神を貫いて、イレギュラーな買い物はわたしがする。
でも、ちゃんと入ってくるんだ。
そう思っていたのに、結婚10年を迎える前に貯金がなくなった。
え?わたしこんなに忙しいんですけど???
やりたいいろんな活動も
やらなくちゃいけないと思っていた朝食や晩御飯作りも学校のことも食材の買い物も
もちろん仕事も。
振り返る余裕もなくただひたすらに毎日を、
閃きと
直感とともに生きる。
楽より楽しい方を選んで努力する。
西陣の借家を数百万掛けて改修したり
西陣の借家を借りたまま大原へ移住したり。
でも、だからこそある、今の暮らし。
夜が開けて朝靄の中の木々の大原の風景や鳥の声を聞きながら、
ありがたいなあと感じる。
振り返ると
あんなに無敵に夢を見られていた自分が不思議なくらい。
すでに過去のわたしは他人感覚。
偶然見た、アンナデルウェイのシリーズ。
洒落てて主役が女性で夢を叶えていこうとするわたしの好きなストーリー。
見終わって
じわじわと
ひたひたと
うっすらと
違和感。親近感??
見つめ直すことができたのは、原始反射の統合も関係していた気がする。
信頼できるひとからの反射の統合ワーク。
そして
アンナからのメッセージ。
機が熟す。
そうか、わたしは借金こそしてないにしても夢を見ていた。
夢の中に生きていた。
警告だったのね。
その前にも、仕事を手伝ってもらっていた人に「トニー滝谷」の主人公みたいで心配だと言われたことがある。
え?ヤバい?
お告げだったのか。。
夢から覚めた感覚。
不思議。
みんなここにいたの?と。
新たな世界に触れる感覚。
もしかして
目が覚めるために、使い切るために
目の前にいる夫はやってきたのかしら?
夫はただ、それいいね、と言うだけ。
それで世界は望んだ方に転ぶ可能性が高まることを知っている。そしてもしそうならなくても平気という感じ。
ほんの少しの貪欲さや、能動的な活動への希望に蓋をしているのではないかと思っていた。
そこは、星を知ることで明らかになっていくというこの運命の不思議。。(Licacoセンセの占星学)
ただ
悪気が無ければいいわけじゃない。無邪気って時に恐ろしい。
自称
暮らしはスポーツ
結婚は修行
なんて言ってたけれど
そろそろ。
ずっと気を張りっぱなしじゃなくていい
いつも戦闘態勢だった。
これが原始反射の残存の影響もあるということを知ることができてほんとよかった。
誰でもいつでも、統合していける。発達していける。
そんなことを知ったり体験したりしながらようやく
わたしも力をゆるめられる時が来た。
夫の左足の大怪我も
自分の体の不調も
時代の変化も
身体との対話も
すべて。
今、試されてる。
そして
わたしは今も育まれている。
生きることは成長すること。
植物や宇宙がたゆまぬ変化の中で成長を続けるのは宇宙の法則だとしたら。
がんばらなくても無理しなくても
みんな、すべて備わって生まれてきている
だから
今からでも
いつからでも
わたしは成長する。
良い悪いじゃなくて。変化する。
全てお試し。
そう感じるようになって人生がうんと興味深く味わい深くなってきた。
味わって
精進して
謳歌して
面白がって生きる。
そんな感覚の旧暦新年の幕開け。
みんなで育まれていきましょ。ワクワクしていきましょ。素直に感じたことを大事にしてあげましょ。
そう言う気持ちで自然な流れの中で始まったラジオ
はぐくみラジオ〜暮らしの天井はひらいてる〜
いろんな人とおしゃべり。アーカイブしていきます。
https://stand.fm/channels/63b912be7655e00c1cc914a2
ひらめきと楽しみをありがとう
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写真は寒椿。すずなりに咲く花がわたしに伝えるメッセージを読む。
敷地には自分に必要な植物が育つ、と言う話に興味のあるわたしは、毎日のように目にうつる真っ赤な寒椿を酵素シロップにしてみた。
発酵。
ただただひたすらに美しい。